人名の50音順で観る『や行』

 ・山下智茂  ・山本常朝  ・山本敏晴
 ・米長邦雄  ・吉田松陰

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■ 山下智茂(ヤンキース・松井秀喜選手の星稜高校時代の恩師)

 □『心が変われば 山下智茂・松井秀喜を創った男』より

 
  「打撃練習では、まずバントから
    始めるように助言しました。
    バッティングは球をよく見ることが
    大切だからです


   「
それなら日本一の球拾いになってやる

   「
おれは改名した。
    今日から山下甲子園だ


   「
野球は一人でプレーできない。
    人間も一人で生きていけない


   「
花よりも
    花を咲かせる土になれ


   「
心が変われば行動が変わる
    行動が変われば習慣が変わる
    習慣が変われば人格が変わる
    人格が変われば運命が変わる


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■ 山本常朝(鍋島藩の武士道『葉隠』の作者)

 □『葉隠』より

 
  「武士道の根本は、死ぬことにつきると会得した。
    死ぬか生きるか、二つに一つという場合に、
    死をえらぶというだけのことである。


   「
七代生まれかわっても鍋島侍と生まれて、
    
お国につくす決意が胆にしみついているだけのことである。

   「
鍋島侍には気力も才能もいらぬ。一口にいって、
    
お家を一人で背負って立つ覚悟をつくればよいのである。

   「
りんとした気持ちでいれば、
    
七呼吸の間に判断がついてしまうものである。

   「
ならぬといふは、成し様足らざる故なり。」 

   「
酒と云ふ物は、打上り綺麗にしてこそ酒にてあれ。
    
気が附かねばいやしく見ゆるなり。

   「
孔子は十五歳ほどの年少で
    学問の道に志を立てたところが聖人なのである。
    いろいろと修行を積むことによって
    聖人になられたのではない。


   「
『只今がその時』、『その時が只今』、
    
つまり、いざという時と平常とは同じことである。

   「
世が末になったのが悪いのではない。
    
人が精を出さなくなったのにこそ罪がある。

   「
分別ありては突破る事ならず、
    無分別こそ虎口前の肝要なり。


   「
修行に於ては、これ迄成就といふ事はなし。
    
成就と思ふ所、その儘道に背くなり。
    
一生の間、不足々々と思ひて、思ひ死するところ、
    
後より見て、成就の人なり。

   「
武士道は死狂いなり。

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■ 山本敏晴(医師・写真家。“世界共通の教科書を創る会”を創設)

 □『彼女の夢みたアフガニスタン』より

 
  「人に優しいことをすると、
    その人も他の人に優しくしてくれて、
    世界に優しさが広がっていくという
    考えがあるんです


   「
相手が自分と異なっていることを、
    『この人は間違っている』と思うところに
    全ての問題があるのではないでしょうか?


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■ 米長邦雄(将棋の棋士。東京都の教育委員)

 □『運を育てる』より

 
  「いちばん大事なことはな、
    いちばん最初の女に尊敬されることなんだ


   「
過程で まったく笑いがない場合には、
    どこかで破綻が生じる


   「
いかなる局面においても
    『自分が絶対に正しい』
    と思ってはならない

   「勝利の女神は、正しいか否かよりも、
    笑いがあるか、謙虚であるかどうかを
    重視している


   「
100のうち、99わかっていても、
    一つわからないことがあってはダメなんだ


   「
消化試合にも全力を尽くす

   「
眼前の一局で自分の生涯が決まる。
    明日はない


   「
目の前の仕事を社長になった
    つもりでこなしていくと、
    いずれ社長になれます


 □『ふたたび運を育てる』より

   
『させてくれ』と
    女にお願いしているうちは
    半人前である

   「鍛練して『してください』と
    頼まれるようにならなければいけない。
    なおかつ、そのお願いに
    充分に応えられなくてはならない


   「
セックスは、相手を悦ばすことが大切。
    教育改革のポイントは、これに尽きる


   「
男のほうから見て素敵な女性というのは、
    心が安らぐ女性、ただそれだけである


   「
将棋が強くなる方法は
    脳みそが汗をかくほど集中して
    盤面を見つめることである


 □『人生一手の違い』より

   
死んだオヤジの棺の前では正座で、
    将棋盤の前ではあぐらというのはおかしい


   
スランプへの対処法として
    最も上策、極意ともいえるやり方は、
    『笑い』である


 □『勝負の極北』より

   
女房を大事にしないような男は、
    よそへ行ってもモテません(笑)。
    今、目の前にあるものを
    大事にしないということですから


 □『人生、惚れてこそ』より

   
意識して頂上を見なければいけません

   「
師匠の言葉にはすべて反発

   「
母親が父親(夫)を尊敬しているか
    どうか、この一点だけ見ます


   「
いちばんいい薬というのは、
    『お前は天才だ、才能がある』
    という、この一言なんです


   「
将棋に勝因はないんです。
    あるのはすべて敗因です


   「
今は最善なんだけど、
    それは今の時点であって、
    今はすでに過去なんです

   「前に進もうとしなければ
    後退してしまうものなんです


   「
早く強くなる勉強法と、
    力を持続する勉強法は、別ものです


   「
いちばん得意な戦法をやらないで、
    不得手な戦法に取り組む。あるいは
    相手の得意に飛び込んで行って戦う。
    それができるかできないかがポイント


   「
最終的に頼れるのは
    自分自身の力だけなんだ


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■ 吉田松陰(幕末に活躍した志士)

 □『講孟箚記(上)』より

 
  「人間が生まれつき持っているところの
    良心の命令、道理上かくせねば
    ならぬという当為当然の道、
    それはすべて実行するのである


   「
『国家とともに』という
     志がないならば、人ではないのである


   「
味方の協和が得られて、
    初めて地形の有利さも、
    自然の条件も役に立つのである。
    それ故に、国家の務めを論ずる場合には、
    まず味方の協和の問題を
    取り上げねばならない


   「
学問の上で大いに忌むべきことは、
    したり止めたりである。
    したり止めたりであっては、
    ついに成就することはない


   「
年齢を尊ぶということは、
    わたくしにとって至要至急の問題である


   「
君子は、何事に臨んでも、
    それが道理に合っているか否かと考えて、
    その上で行動する。
    小人は、何事に臨んでも、
    それが利益になるか否かと考えて、
    その上で行動する


   「
人を信ずることは、もちろん、
    遥かに人を疑うことに勝っている


   「
人の身というものは、その本質を
    天からいただき、徳、すなわち人格を
    心のうちに具えているものである


   「
悔いるよりも、今日直ちに決意して、
    仕事を始め技術をためすべきである。
    何も着手に年齢の早い晩い(おそい)は
    問題にならない


   「
人を観察するのは、
    その人の目によってするのである。
    胸のなかが正しいか、正しくないかは、
    ひとみがはっきりしているか、
    暗いかによってわかるものである


   「
だいたいにおいて
    世間の毀誉(きよ)というものは、
    あてにならぬものである


   「
学問をする眼目は、
    自己を磨き自己を確立することにある


   「
末の世において道義を実践したならば、
    必ずその時の人々から、
    極端だといわれるであろう。
    もしまた、世人から極端だと
    いわれるくらいでなければ、
    決して道義ではないのであって、
    すなわち世俗に同調し
    濁った世に迎合したものにすぎない


   「
賞誉されて忠孝に励む人は珍しくない。
    責罰されてもなお忠孝を尽す人物こそ、
    真の忠臣孝子である。
    武士たるものが覚悟すべきこと、
    実にこの一点にある


   「
士たるものの貴ぶところは
    徳であって才ではなく、
    行動であって学識ではない


   「
人が横逆をし向けてくれば、
    みずからのうちに、
    不仁無礼のところはないかと反省し、
    反省して無く、しかもなお
    横逆をしむけて来るならば、
    さらにみずからのうちに
    不忠のところはないかと反省する


   「
私心さえ除き去るならば、
    進むもよし退くもよし
    出るもよし出ざるもよし


   「
私心がまだ除き去られないと、
    その進退出処、みな私心に
    拘われて(とらわれて)
    道に反することとなる


   「
至誠にして動かざるものは、
    未だこれ有らざるなり


   「
親思ふ こころにまさる 親ごころ
     今日の音づれ 何ときくらん


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